東京教会について

東京教会は、1912年に東京・小石川において教会活動を開始し、1923年(大正12年)2月に現在地に礼拝堂を建立して以来、1世紀を超える歳月をここ大久保の地にて活動してきました。
この間、関東大震災、太平洋戦争など大きな歴史の痛みも経験してきました。震災後建てられた会堂も、つたのからまる教会として長い間親しまれてきましたが、老朽化したため、ルーテル教会の日本宣教百年を記念して1996年現在の会堂に改築されました。
周囲の環境は変化しましたが、私たちはこれからもこの場所で、人々とともにいつまでも歩み続けたいと思っています。

礼拝堂正面 ルーテル教会の宣教を記念して建てられた東京教会の礼拝堂正面には四つのステンド・グラスがあります。十字架を中心に、左から「癒し」と「復活」、そして「派遣」と「祝福」というテーマで描かれています。

そこには、新宿という象徴的な場所に福音を伝えるため派遣された教会として、この地も復活の主によって癒され、新しい祝福のうちに生きるものとされるのだ、という福音への確信と祈りが込められています。

祭壇左下には、生きる望みを失ったエリヤが、み使いから水とパンを与えられ、再び生きる勇気を取り戻す絵があります。聖餐を受ける度に、主の恵みの豊かさを深めてくれる絵です。

作者はドイツの高名なマイスターであるE・クロンク氏です。建築委員会が提示したテ-マを信仰的にも、芸術的にも見事に表現して下さいました。ブルーを基調とした絵は決して目立ち過ぎず、むしろ十字架を引き立たせながら、同時に会衆に安らぎを与えてくれます。
いま一つ階段にはルターの紋章が描かれています。
望外のことでしたが、これらの絵は百周年のお祝いにとブラウンシュバイク教会が寄贈して下さったことを感謝して付記します。

毎月第一日曜日には聖餐式を行っています。キリストの最後の晩餐の約束にもとづいて、会員はパンとぶどう酒をいただいきます。洗礼を受けていない人も祝福を受けることができます。

バッハを生んだルーテル教会の伝統として、音楽による礼拝は大切にされています。聖歌隊やハンドベル・クワイヤなど、会員が心をあわせて神様を音楽で賛美いたします。

私たちは、日本の、そして世界の人々に愛をもって仕えるために、毎週礼拝し、祈り、活動を行っています。
どなたでもおいでいただけるように、教会のドアはいつでも開いています。

ルーテル教会とは

キリスト教会には、大きく分けて、ローマ・カトリック教会とプロテスタント諸教会があります。

ルーテル教会は、プロテスタント教会に属します。宗教改革者 マルティン・ルター という人の名前に由来しています。

その基本は 「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」という宗教改革のいわゆる三大原理です。
神様の前にすべての人は平等、お金とか見せかけの努力ではなく、神様の恵み、イエス・キリストの十字架と復活によってのみ、人は救われるというものでした。その声は、ドイツをはじめ全ヨーロッパに伝わりました。
しかし当時のローマ・カトリック教会の大勢はこれを斥け、「ルターの仲間」と呼ばれ始めたこのグループは、「ルーテル教会」と呼ばれるようになったのです。

その後、この宗教改革運動に続いて各地で新しいグループが生まれ、多くのプロテスタント教会が出来ていったのです。特にドイツから北欧にかけて広がり、その後それらの国の人々が新大陸発見とともにアメリカに移住し、アメリカ各地に自分たちのルーテル教会を形成していきました。
私たちの属する日本福音ルーテル教会は、マルティン・ルターの信仰の流れを受け継ぐ伝統あるプロテスタント・キリスト教会です。

またルーテル教会は、偉大な音楽家バッハを生み出した教会としても周知されています。
バッハによって多くの教会楽曲が作曲されましたが、それらは信仰の証として今日に至るまで教会の遺産として継承されています。

牧師紹介

主任
牧師

松本義宣牧師
(Yoshinobu Matsumoto /Pastor)

福岡県生まれ/趣味:読書、音楽鑑賞(好みはバッハとワーグナー)

日々こころを襲ってくる「苦しみ」や「生きていく不安」、ひとはそこから抜け出せないのでしようか。
人生は苦しむためにだけ存在するのではありません。
神は試練と共にそこから抜け出す道を必ず用意しておられます。
神はひとをお造りになり、ひとの道を守られるお方だからです。

だから「もう悲しまなくてもいいよ」「もう大丈夫だよ」
そうあなたの心に語りかける場所が教会です。
皆さんどうぞ安心して神がお造りになった「魂のふるさと」、教会へおいでください。

※各牧師へのご相談等につきましては、事前の確認・アポイントメントをお取り頂けますようお願い致します。

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