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もっと知るバッハ「青年オルガニスト、バッハ、拘禁の刑を受ける」


about Bach

〜 その3 〜

パイプオルガン

青年オルガニスト、バッハ、拘禁の刑を受ける

バッハの完璧なまでの音楽を聴いていると、とてもまじめで勤勉実直な優等生というイメージを持ちます。でも、若いころからバッハは情熱的で妥協を許さない性格であったようで、あちこちで事件やもめ事を起こしました。

バッハ18歳のとき、アルンシュタットというまちの教会が再建され、新しいオルガンの鑑定にバッハが呼ばれました。試奏がよほど素晴らしかったのでしょうか、バッハはその教会のオルガニストの地位を18歳という若さで得ることができました。ところが、その職務には聖歌隊の指導もあり、バッハは、レベルの低い隊員にイライラしてかつらを投げつけたり、怒鳴ったりしたようです。バッハに悪口を言われた隊員の一人が根にもってバッハを待ち伏せし顔を殴ったので、バッハは剣を抜き切りかかろうとし、周りの人に止められて事なきを得たという逸話もあります。

そんな日常にバッハは嫌気がさしたのでしょうか、当時有名だったブクステフーデのオルガン演奏を聴くために、バッハは400㎞離れたリューベックのまちに徒歩で出かけるため4週間の休暇願を出しました。すっかりブクステフーデの演奏に心酔したバッハは勝手に休暇期間を延長し16週間後に戻って教会の聖職会議で大問題となりました。
ブクステフーデの影響を強く受けたバッハは、勝手に讃美歌の間に即興演奏を入れ、聞きなれない転調をさせて教会関係者を驚かせたのでした。また、教会内で若い女性に歌わせたことも問題となりました。当時の教会では女性は歌うことが禁じられていたのです。この女性はバッハが22歳のときに結婚したマリア・バルバラと言われています。結局教会とは険悪な状況になってしまいました。

そのころ、ミュールハウゼンというまちの教会のオルガニストが亡くなり後任者を探していたので、バッハは転職することができました。このころの傑作としては、有名なトッカータとフーガニ短調(BWV565)がありますね。ブクステフーデの即興的な作曲技法を学んだ青年バッハの怒涛のような情熱とエネルギーが現代の私たちにも伝わってきます。
でも、ミュールハウゼンでも1年程して突然辞表を出しました。バッハ23歳のころです。辞表には「整った教会音楽」ができないことを主な理由としていますが、上司との関係がギクシャクし、バッハは、ワイマールの宮廷楽団に転職しました。
しかし、ワイマールでもいろいろもめ事をおこしました。極め付けは宮廷楽長の人事をめぐってバッハよりもはるかに能力の低い人が任命されたときのことでした。腹を立てたバッハは、強硬に辞表を提出し公爵の態度をすっかり硬化させてしまい、逮捕されて4週間の拘禁の刑を受けたのでした。

でも、ワイマール時代の8年間にバッハは数多くのオルガン曲を中心とした傑作を生みだし、結婚し家族にも恵まれ充実した20歳代を送っていたのです。情熱的で妥協を許さない性格はときとして人間関係をギクシャクさせましたが、そういう性格だからこそ素晴らしい音楽を生み出すことができたとも言えるのです。

文責:藤田泰宏

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