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もっと知るバッハ「孤児となったバッハ、10歳で両親を亡くす」


about Bach

〜 その2 〜

バッハ

孤児となったバッハ、10歳で両親を亡くす

ヨハン・ゼバスチャン・バッハは、1685年3月21日旧東ドイツのアイエゼナハの町楽士ヨハン・アンブロウジウス・バッハの4人兄弟の末っ子として生まれました。当時の町楽士は、ツンフトと呼ばれる職人集団を形成し、音楽を生業とする職人が徒弟制度のなかで厳重な修業の道を築いていたと考えられます。バッハは幼いころからバイオリンをしこまれ、ツンフト的な厳しい修練を受けていたと考えられます。
ところがバッハの両親はバッハが9歳から10歳のときに相次いでこの世を去りました。10歳といえば、まだ両親が必要な年齢であり、どんなにか心細く辛い思いをしたことでしょうか。孤児となったバッハをすでにオルガニストの地位を得ていた14歳年上の兄(ヨハン・クリストフ・バッハ)が引き取りました。

一年後には、兄の家族が増えたためでしょうか、リューネブルクの修道院の寄宿学校に入学させられました。10歳の頃のバッハは美しいソプラノだったので聖歌隊に編入され、学費は免除されました。まもなくソプラノの声を失ったと思われますが、それでもそこに留め置かれたのは、バイオリンが弾けオーケストラで使ってもらえたからだと考えられます。少年バッハは、両親との別れの悲しみのなかで、自分の実力一つで生きていかなければならなかったのです。
バッハは兄の家や寄宿学校で猛烈に音楽を学んだと考えられます。兄のもとでは、まだ教えられていない楽譜を月夜にこっそり半年かけて写し取り、それが見つかって兄に取り上げられたという有名な逸話があります。また、寄宿学校ではオルガンを学ぶことができ、18歳のときにはアルンシュタットの新教会のオルガにストの地位を得ました。
ひとまずバッハの自活の道は開けたのですが、その後の人生も決して楽なものではありませんでした。何よりも両親の早すぎる死はその後のバッハの音楽に大きな影響を与え続けたと考えられます。バッハの多くの作品のなかには、厳しい現実を思わせるようなメロディーの後にふと甘美な「死への憧れ」を感じさせるようなメロディーが出てきます。

話は、一気に1750年のバッハの死の直前に飛びます。バッハは死の床で弟子のアルトニコルに口述で讃美歌を編曲したオルガンコラールを書き取らせました(バッハ作品番号BWV668)。それは「われら悩みの極みにありて」の讃美歌を編曲したもので、教会讃美歌468番(悩みの時にも、苦しみの日にも、、、)と同じものです。バッハが死に臨んだときの想いを曲にしたと考えると、その人生は苦難や憂いの連続であったことが想像できます。
しかし、バッハは上記のオルガンコラールの題名を「御身の玉座の前にいまわれは進み出」に変え、歌詞もメロディーも変えたのでした。この曲では、憂いのなかにもバッハ特有の「死への憧れ」のような甘美なメロディーを感じることができると思います。 日本福音ルーテル東京教会では、オルガンの奏楽にこうしたオルガンコラールもときどき織り込んで礼拝を守っています。こうしたバッハの厚い信仰心に支えられた音楽を礼拝に集う人々の心に届けることがより豊かな礼拝に繋がると信じているからです。

文責:藤田泰宏

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